ナポリの男たちが大槻ケンヂのようなサブカルチャーの神になってゆくシナリオが見える

タイトルの通りである。くだらない1視聴者の感想と思って読んでいただきたい。

先日のツイッターで、ナポリの男たちが米津玄師さん、岡崎体育さんと食事をしたとのツイートが流れてきた。この記事はそのツイートを見た後にぼんやり考えたことである。


これからのことを語る上で、まず明らかにしておきたいのは、大槻ケンヂという男のことだ。知らない方へ説明するなら、現在のサブカルの神のような人で、ロックバンドのボーカルで、詩人、作家、という言葉を簡単に当てはめさせていただく。

かつて大槻ケンヂ少年は、日陰の存在だった。新学期の自己紹介で滑り、1年間女子と話すことなく教室の隅で映画の記録をしている、そんな少年だった。社会に鬱憤を抱え、平凡な人生から個性と賞賛を勝ち取るために、自分が特別な何者かへなることを夢見て、俺だってモテたいという思いを携えてロックバンドを始めた。初期の彼を箱ライブで見ていた人々、彼に抱かれたとされる1000人の女性たちが、バンドブームを経て成り上がった大槻ケンヂを、サブカルチャーの祖として神格化していった彼をどんな気持ちで眺めていたのか。今の私にはそれが、そうした歴史のムーブメントが、ナポリの男たちに起こっているように思えてならない。



私はニコニコ動画を2009年頃から視聴している。個人的な意見だと思って聞いていただきたいが、私にとってニコニコ動画とは「何者にもなれなかったやつらが、何者かになろうと足掻く、コンプレックスとルサンチマンに溢れた動画を見てカタルシスを得る場所」であった。そこには少年大槻ケンヂがたくさんいたし、彼らのほとんどは、その陰気な思いだけを残して現実へ去っていったように思う。

何者にもなれないまま、平凡な人生を受け入れる。「ニコ動の俺ら」のシナリオである。教室の隅で始まり、教室の隅で終わる画面の向こうの人々は、彼らと同じくまた何者にもなれない(であろう)自分を安心させた。こここそが私の居場所なんだと思えた。


あの頃、「もっと評価されるべき」というタグをつけられていた人たちがほとんど誰も為し得なかった、「もっと評価されるべき」時がナポリの男たちへおとずれている。

教室の隅にいた実況者たちが、同じくモテない男がやるものであったロックバンドというジャンルごと、マジョリティに引っ張っていった大槻ケンヂのように、今、実況者というブランドを掲げてマジョリティへ歩み始めている。


私は目眩がした。これまでもあったであろう歴史が変わる瞬間、世界の価値観を揺るがす時を生きた人たちの高揚。大袈裟かもしれないが、自分の中に生まれた何かとてつもない思いは、この高揚のことなんじゃないかと思う。これはもしかしたらすごいことなのかもしれない、今はわからなくてもそんな気がする。おそらく歴史が動く瞬間なんて、こんな曖昧な期待と予感がほとんどで、全てが終わってしまってから「あれがきっかけだったのか」と思うのだろう。


ナポリの男たちの飛躍は、かつての大槻ケンヂがそうであったように、陰キャな人間たちの希望に映るのかも知れないし、最初から到底辿り着けない場所であったことを思い知らせる絶望に映るかもしれない。


何者にもなれないままの私は、歴史の傍観者としてナポリの男たちを見守り、また新たな「自分の仲間」を求めてニコニコ動画へ帰ってゆくのだ。